15)海老名りん(1849~1909)(1)①

「幼児教育と女子教育の母」として知られる女性。會津藩士日向新介の息女。 慶応4年(1868)の戊辰戦争では20歳だった。   8月23日の朝、西軍城下に迫るーの早鐘で鶴ヶ城に入ろうとしたが、 病気の父の看護のため入城できず、薙刀を抱え、襷袴姿で父を介護し、 家族とともに高田へ落ちた。  城下での激戦から籠城戦という厳しい現実に直面して、 藩士の子女は誰しも死を覚悟した。りんは辞世の…

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(14)新島八重(最終回)  

八重が社会福祉活動の何たるかを身を以て示したことで、 多くの後進が育ったのは紛れもない事実である。 彼女が美しい人生の役目を終えたのは、昭和7年(1932)6月14日。 新島八重は安らかな表情で天国に召された。86歳であった。  彼女は京都市左京区鹿ケ谷の同志社墓地に襄とともに眠っている。 鳥羽・伏見の戦(1868)で亡くなった弟三郎、 明治25年(1892)死去した兄覚馬、さら…

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(13) 新島八重⑦

 この勲功が日本赤十字の発展と篤志看護婦たちの励みになったのは、 いうまでもない。八重は勲功に甘んじることなく、看護学を学び、 後進の指導にあたり、倦むことを知らなかった。  そして明治37年(1904)日露戦争が勃発するや 再び看護活動に会員を率いて大阪の予備病院で負傷兵の看護にあたった。 すでに59歳になっていたが、奉仕の精神は少しの衰えもなかった。  八重は社会奉仕のために余生…

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